「今、今を生きる」—— 母を見送って、改めて思うこと



あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。



8月11日、母を見送りました。


母のいない日常が、
少しずつ過ぎていっています。


ここに母のことを書くかどうか、
少し迷っていました。


母とのことは、とても個人的なことでもあるし、
どこまで書いていいのだろうという気持ちもあったからです。


けれど、「カウンセリングルーム稲穂」という場所のことを考えていると、
母のことを切り離して書くこともできないように思いました。


今、僕がカウンセリングをしているこの場所は、
元々、母が自然食レストランをしていた場所です。


カウンセリングで使っている丸いテーブルも、
米粒の形をしたイスも、母がレストランをしていた頃からここにあるものです。


僕がカウンセラーになるよりも、ずっと前から。


母がつくった場所を受け継いで、
今、僕はここで、お話を聴いています。


だから今回は、母を見送った今、
僕の中に残っていることを書いてみたいと思います。


亡くなる前の母は、少しずつ食が細くなり、
動ける範囲も小さくなっていきました。


それでも母は、
入院や点滴を望みませんでした。


検査についても、
「検査をして何かが見つかったら、稲穂(自宅)へ帰って来られなくなるかもしれない」と話していました。


父も姉も僕も、
母がそういう人だということをよく分かっていました。


そして、幸いなことに、
身体のどこかが痛いということもなく、
苦しさを訴えることもありませんでした。


だから、母の考えを変えてまで、
病院へ連れていこうとはなりませんでした。


母がどうしたいのか。

何を大切にして過ごしたいのか。

なにより母自身、
「ここからまた回復していくんだ」という思いを持っていました。


そんな母の思いを尊重したいと思いました。


そして、亡くなった後の検査では、
癌などの病気は何も確認されず、死因は「老衰」とされました。


母は、自分が望んでいた稲穂(自宅)という場所で、
自分の好きなものに囲まれ、家族みんながそばにいて、
苦しむ様子もほとんどなく、眠るように息を引き取りました。


もちろん、母が亡くなった時のことは、
にわかに信じがたかった。


まだ、手にも顔にも温もりがあった。

ただ、呼吸と心臓の音が聴こえなかっただけだった。

声を掛けても、何も反応がなかっただけだった。


涙が溢れたのは、しばらくしてからだった。


もっと母の声を聞きたかったし、触れたかった。

もっと僕から伝えたかったことも、いっぱいある。


それでも僕は、僕たち家族は、

母にとっても、家族にとっても、幸せな最期だった。

そう心から思っている。


最後まで、母は母らしく生き抜いた。

そして家族も、そんな母の生き方を尊重することができた。


8月11日は、山の日だった。


2ヶ月前、母は大好きな富士山の近くへ、父と旅行に行っていた。

母から「会えた!」と、富士山の写真がLINEに送られてきた。




それが、父と母で行った最後の旅行になった。

大好きな富士山に会えた旅の2ヶ月後、山の日が母の最期の日になった。


そして、祝日のこの日だったからこそ、
仕事をしている父も家にいたし、朝から家族が集まることができた。


「最期は誰にも迷惑を掛けない」と、
いつもそう話していた母。


そんなことが重なって、
母がこの日を選んだのかな、
と僕には思えた。


母がよく話していた言葉の中で、
心に残っているものがある。


「今、今を生きる」


という言葉。


最初はこう言った。

でも、今はこう思う。


前はこれがよかった。

でも、今はこっちがいい。


思いは変わってもいい。


だって、僕らが生きているのは、
「過去」ではなく、「今」なのだから。


母は、そんなふうに生きていたのだと思う。


人の気持ちは変わる。

考え方も変わる。


昨日まで大切だったものが、今日はそうでもなくなることもある。

反対に、これまで何とも思っていなかったものが、急に大切になることもある。


「前はこう思っていたのだから」と、
過去の自分に今の自分を合わせようとしてしまうこともあるかもしれません。


でも、

「前と言っていたことと違う」

「一度決めたんだから、変えちゃいけない」

と、今の気持ちを押し込めなくてもいいのだと思います。


昨日までと違っていても、
今の自分が「こっちがいい」と思うなら、それでいい。


変わってしまうことは、悪いことではない。


僕らが生きているのは、
今、この瞬間だから。


亡くなる前日にも、
そんな母らしい出来事がありました。


最初は「カンテラ(ランプ)が欲しい」と言っていた母が、
一緒に探しているうちに少しずつ気持ちを変えて、
最後には、最初に思い描いていたものとは違う電気スタンドを見て、


「これがいい」と選びました。


最初に言っていたこととは違っていた。

でも、それでよかったんだと思います。


今、これがいい。


母にとっては、それがその時の答えだった。


亡くなる前日まで、
母は「今」を生きていました。


振り返ってみると、あの小さな出来事の中にも、
母の「今、今を生きる」という生き方が表れていたように思います。


カウンセリングをしていても、
人の気持ちは本当に揺れ動くものだなと感じます。


「もう仕事を辞めたい」と思っていたけれど、
もう少し続けてみようかなと思うこともある。


離れたいと思っていた相手と、
もう一度向き合ってみたいと思うこともある。


反対に、
「もう大丈夫」
「もう気にしていない」

と思っていたことが、
ふとした時にまた苦しくなることもあります。


「前はこう言っていたのに」
「自分は意志が弱い」
「結局、自分がどうしたいのか分からない」


そうやって、自分を責めてしまうこともあるかもしれません。


でも、昨日と違ってもいい。

一度決めたことが変わってもいい。

人は、その時その時で、
いろいろなことを感じたり、考えたりしながら生きています。


気持ちが変わることも、今まさに、
「生きていること」の一部なのかもしれません。


大切なのは、

「前の自分は、どう言っていたか」
だけではなく、


「今の自分は、どう感じているのか」
なのだと思います。


母との時間を通して、
カウンセリングについても改めて考えました。


カウンセリングをしている僕自身も、

「こうした方がいいんじゃないかな」

「こっちの方が、その人にとって楽なんじゃないかな」

と思うことはあります。


必要だと思う情報を伝えたり、
一緒に選択肢を考えたりすることもあります。


でも、僕がいいと思うことが、
その人にとっての答えとは限らない。


その人の人生を生きるのは、
その人自身だから。


前回までのその人でもなく、
僕の中にある「この人はこういう人」というイメージでもなく、


今、目の前にいるその人を見る。

「今は、そう思っているんですね」

「今は、そう感じているんですね」

と、その時に出てきた気持ちを一緒に見ていく。


すぐに答えが出なくてもいい。

迷ってもいい。

また気持ちが変わってもいい。


その中で、
「今の自分は、どうしたいんだろう」

と、その人自身が少しずつ感じたり、
考えたりしていけたらいい。


僕は、そんな時間を一緒につくっていきたいと思っています。


母は、生前、

「肉体がなくなっても、命は生きている」

ということも話していました。


以前の僕は、この言葉の意味をどこまで理解できていたのだろうか。


でも、母が亡くなった今は、
以前とは少し違う感じで、この言葉を受け取れています。


母の身体は、もうここにはない。


でも、母が残してくれたものは、たくさんある。


この稲穂という場所もそう。

丸いテーブルも、
米粒の形をしたイスもそう。

稲穂にある、母が残してくれたもの。



母から聞いた言葉も、
一緒に過ごした時間も、

僕の中に残っています。


そして、

「今、今を生きる」という言葉も。


誰かから受け取った言葉や生き方が、
その人がいなくなった後も、自分の中に残っている。


そして、それが自分の生き方や、
誰かとの関わりの中で生かされていく。


そう考えると、それも一つの、

「命は生きている」

ということなのかもしれません。


母がつくった、この稲穂という場所で、

これからも僕は、お話を聴いていきます。


過去のその人に縛らず、

僕の考える正解にも縛らず、

今、目の前にいるその人を見ながら。


そして僕自身も、

昨日までの自分に縛られすぎず、

その時、その時の自分の気持ちを大切にしながら生きていきたい。


母が最後の最後まで、そうしていたように。


今、今を生きながら。