車の泥汚れを落としながら思った、「触れる」という愛情の話



あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。


先日、鳥取の旅についての記事を書きました。


前回の記事はこちらです。
👉 道なき道を歩いてもいい― 鳥取砂丘で感じた、自分の道の見つけ方 ―


今回は、その後日談です。


鳥取から帰ってきた数日後、
車をガソリンスタンドの洗車機にかけました。


でも帰宅後に、改めて自分の手で洗い直すことにしました。


というのも、旅の時についた泥汚れが、
洗車機では落ちなかったからです。


車の顔のあたりに、
固まった泥が残っていました。


最初は、ただの泥汚れだと思っていました。


でも、その泥を落とそうと向き合っているうちに、
「触れる」ということについて考える時間になりました。


僕は以前、
「愛情とは、見る、聴く、触れること」
と教わったことがあります。


今回の洗車は、
その意味を改めて体で感じる時間でした。


まずは、車の顔部分をシャワーで濡らしてみました。


それから洗剤をつけて、
優しく擦ってみました。


でも、固まった泥は、
ビクともしません。


時間をかけて、
汚れを浮かすように優しく擦ってみても、
なかなか取れませんでした。


無理に擦れば、
車を傷つけてしまうかもしれない。


そう思うと、力任せにはできない。


でも、優しく撫でているだけでは、
カピカピになった泥は落ちてくれませんでした。


気づけば、1時間ほど、
車の泥汚れと向き合っていました。


最後は、傷つけないように気をつけながら、
泥の固まりに砂利石を当てて、少しずつ崩すようにしてみました。


すると、あれほど取れなかった泥が、
あっさり崩れて取れたのです。


その時に思いました。


優しくするだけでは、
届かないこともあるんだな、と。


もちろん、乱暴にするという意味ではありません。


力任せに擦れば、
車を傷つけてしまいます。


でも、ただ優しく撫でているだけでは、
固まってしまったものには届かないこともあります。


固まってしまったものには、
固まってしまったなりの関わり方がある。


傷つけないように気をつけながらも、
必要なところには、ちゃんと触れていくこと。


車の泥汚れを落としながら、
そんなことを教えてもらった気がしました。


見ること、聴くことは意識していました。


相手の表情を見る。
話をしっかり聴く。


それは、カウンセリングの中でも大切にしていることです。


でも今回、車の泥汚れと向き合いながら、
「触れる」ということを、どれくらいできていただろうかと思いました。


触れるとは、
直接手で触れることだけではありません。


心に触れること。

その人が大切にしているものに触れること。

言葉にならない痛みに、そっと触れていくこと。


そういう意味での「触れる」もあります。


そしてもう一つ、今回感じたのは、
触れるとは、
見て、聴いたあとに、
どう扱うかということでした。


見ることは、気づくこと。
聴くことは、受け取ること。


そして、触れることは、
受け取ったものを、どう大切に扱うかということ。


そう考えると、「触れる」は、
愛情が行動になる瞬間なのかもしれません。


見て、聴いて、感じ取ったことを、
自分の行動に変えていくこと。


それが、触れるという愛情なのだと思いました。


1時間以上、車の泥汚れを落としながら、
僕はずっと車に触れていました。


水で濡らして、洗剤をつけて、擦って、様子を見る。


落ちないなら、また違う方法を考える。


どうすれば落ちるのか。
どうすれば傷つけずに済むのか。


そんなことを考えながら、車と向き合っていました。


ただの洗車と言えば、それまでです。


でも、僕には少し違う時間に感じられました。


車の汚れを見る。
落ちにくさを感じる。
傷つけないように、触れていく。


それは、車をただの道具として扱うのではなく、
大切なものとして扱う時間だったのかもしれません。


もし、自分の顔に泥がついていたら、
きっと何とかして落とそうとすると思います。


鏡を見て、
汚れているところを確認して、
丁寧に洗う。


落ちなければ、
どうしたら落ちるか考える。


それが自分の顔なら、
きっと放っておけません。


では、車だったらどうでしょうか?


車の顔だって、
汚れていたら嫌かもしれない。


そんな風に感じた時、
ただ「汚れているから落とす」のではなく、


「きれいにしてあげたいな」
という気持ちになりました。


そう思えた時、
洗車は作業ではなく、触れ合う時間になりました。


「ちゃんと見てもらえた」
「ちゃんと触れてもらえた」


車がそんな風に喜んでくれたような気がしました。


今回の洗車は、
ただ車をきれいにする時間ではありませんでした。


洗車機では落ちなかった泥汚れと向き合い、
どうすれば傷つけずに落とせるのかを考える時間でした。


愛情とは、
ただ優しくすることだけではないのだと思います。


相手をよく見て、
声を聴いて、

その上で、

どう扱うか。
どう接するか。
どう行動するか。


見て、気づき、
聴いて、受け取ったものを、
大切に扱うところまで含めて、
愛情なのだと思います。


固まったものを無理に壊すのではなく、
傷つけないように触れていく。


でも、見て見ぬふりもしない。
必要なところには、ちゃんと関わる。


車の泥汚れを落としながら、
そんな愛情の形を教えてもらった気がします。


泥汚れが落ちて、
車の顔がきれいになった。


反対に、
泥を落としていた僕の顔は、
少し汚れていた。


それでも、僕の心は、
春の陽気に包まれるように、
すっきりと洗われていた。



・自分の気持ちを大切に扱いたい方
・人との関わり方を見つめ直したい方
・心に触れるようなカウンセリングを受けてみたい方



自分の気持ちも、人との関わりも、
丁寧に見つめ直していきたい方へ。


どうぞ、お気軽にご相談ください。






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