あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。
先日、鳥取・境港の水木しげるロードで感じたことをブログに書きました。
その記事は下記です。
👉 https://inaho16.com/mizuki-shigeru-road-self/
その中で、自分という存在を「月」に例え、
見えている部分だけが、
自分の全部ではない。
見えていない部分も含めて、
自分なのではないか。
そんなことを書きました。
そして、その翌日に訪れた鳥取砂丘でも、
その月の話と重なるような出来事がありました。
見えている自分。
見えていない自分。
見せている自分。
見せていない自分。
好きな自分。
嫌いな自分。
「あんな自分は、本当の自分じゃない」
「こんな自分は、認めたくない」
そう思ってしまう自分。
でも、どの自分も、
自分の中から生まれてきた一部なのだと思います。
今回は、水木しげるロードで書いた月の話と、
新月の鳥取砂丘で感じたことを重ねながら、
「どんな自分も、自分から切り離さなくていい」
という話を書いてみたいと思います。

新月の夜、一番星だけが見えた
夜の鳥取砂丘は、とても静かでした。
太陽が隠れ、暗闇が顔を出す。
風と砂を踏む音だけが耳に届く。
そこには、普段とは違う時間が流れていました。
星空が見たくて選んだ、
新月の夜。
空を見上げても、
月は当然ながら見えません。
そして、思い描いていたような満天の星空も、
そこにはありませんでした。
少し拍子抜けしたような、
残念なような気持ちもありました。
でも、空を見ると、
一つだけ星が見えました。
一番星のように、
ぽつんと光る星。
月は見えない。
満天の星空も見えない。
それでも、何もなかったわけではない。
たった一つ、見える光がありました。
水木しげるロードのブログで書いた月の話が、
この新月の鳥取砂丘の夜と、どこかでつながった気がしました。
見えない月も、
きっとそこにある。
思い描いていた景色とは違っても、
そこにあるものがある。
その感覚が、心に残りました。

見えないから、ないわけじゃない
新月の日、月はほとんど見えません。
でも、月そのものがなくなったわけではありません。
三日月に見える日。
半月に見える日。
満月に見える日。
そして、新月で見えない日もあります。
けれど、どの日も「月は月」です。
形が見えている時だけが、月なのではありません。
見え方が変わっているだけ。
光の当たり方が変わっているだけ。
こちらから見える部分が変わっているだけ。
月そのものが、別のものになったわけではない。
それは、僕たちにも重なるように感じます。
見えている自分だけが、自分の全部ではない
僕たちは、自分のことを見えている部分だけで判断してしまうことがあります。
人前でうまく話せた自分。
誰かに優しくできた自分。
落ち着いて対応できた自分。
がんばれた自分。
そういう自分は、
比較的認めやすいかもしれません。
でも一方で、
見たくない自分もいます。
怒ってしまった自分。
嫉妬してしまう自分。
すぐ不安になる自分。
相手に合わせすぎてしまう自分。
本音を言えずに苦しくなる自分。
誰かに認めてほしくて仕方ない自分。
そんな自分が出てきた時、
「こんな自分は嫌だ」
「本当はこんな自分じゃない」
と思いたくなることがあります。
でも、見えている自分だけが、
自分の全部ではありません。
見えていない自分も、
見せていない自分も、
好きな自分も、嫌いな自分も。
その全部を含めて、自分なのだと思います。
今、自分で認められない部分があったとしても、
それが自分の中に存在していないわけではありません。
そこにも、ちゃんと自分がいます。

相手や場所によって、出てくる自分は変わる
僕たちは、相手や場所によって、
出てくる自分が変わることがあります。
家族といる時の自分。
仕事をしている時の自分。
友人といる時の自分。
ひとりでいる時の自分。
安心できる人の前にいる時の自分。
緊張する人の前にいる時の自分。
それぞれ、少しずつ違う自分が出てきます。
ある人の前では明るく話せるのに、
別の人の前ではうまく話せない。
ある場所では落ち着いていられるのに、
別の場所では不安になる。
ある関係では優しくいられるのに、
別の関係では余裕がなくなってしまう。
そして、その自分が相手にどう受け取られるかも変わります。
ある人には「優しい人」と受け取られるかもしれません。
ある人には「おとなしい人」と受け取られるかもしれません。
ある人には「冷たい人」と受け取られてしまうこともあるかもしれません。
でも、どれか一つだけが本当の自分で、
他は偽物というわけではありません。
その時、その場所、その関係の中で出てきた自分。
それもまた、自分です。
月の見え方が日によって変わるように、
僕たちも、関係や環境によって見え方が変わります。
でも、見え方が変わっても、
自分が別人になるわけではありません。
「本当の自分じゃない」と思う自分も、自分
自分の嫌な部分が出てきた時、
それを切り離したくなることがあります。
「あんな自分は、本当の自分じゃない」
「本当はもっと優しいのに」
「本当はこんなことを言いたかったわけじゃない」
「こんな自分は認めたくない」
そう思うことがあります。
でも、そう感じてしまう自分も、自分です。
認めたくない。
受け入れたくない。
なかったことにしたい。
切り離してしまいたい。
その気持ちにも、
きっと理由があります。
自分のことを大切に思っているからこそ、
嫌な自分を見ると苦しくなる。
本当はこうありたいという願いがあるからこそ、
そうではない自分に傷つく。
だから、まずは
「そう思ってしまう自分もいるんだな」
と認めてあげること。
そこから始めてもいいのだと思います。
いきなり嫌いな自分を
好きにならなくてもいい。
無理に受け入れようとしなくてもいい。
ただ、そこにいることをなかったことにしない。
そのことが、自分との関係を少しずつやわらかくしていくのだと思います。

嫌な自分の奥にも、意味がある
嫌いな自分は、ただ悪いものとして出てきたわけではないのだと思います。
怒りの奥には、傷ついた気持ちがあるのかもしれません。
嫉妬の奥には、本当は大切にしたかった願いがあるのかもしれません。
不安の奥には、もう二度と傷つきたくないという思いがあるのかもしれません。
相手に合わせすぎてしまう自分の奥には、嫌われたくない、
関係を壊したくないという切実さがあるのかもしれません。
本音を言えない自分の奥には、
言っても分かってもらえなかった過去があるのかもしれません。
嫌な自分を見つけると、
つい責めたくなります。
でも、その自分は何かを守ろうとしてきたのかもしれません。
これ以上傷つかないように。
誰かに見捨てられないように。
自分なりに何とか生きていけるように。
そう考えると、
嫌な自分への見方が少し変わります。
「どうしてこんな自分がいるのだろう…」
そう責めるのではなく、
「この自分は、何を守ろうとしてきたのだろう?」
そう問いかけてみる。
そこから、自分を責めるだけではない関わり方が始まるのだと思います。
まとめ:どんな自分も、自分から切り離さなくていい
見えないから、
ないわけではありません。
新月の日に月が見えなくても、
月は変わらずそこにあります。
きっと、僕たちも同じです。
見えている自分。
見えていない自分。
見せている自分。
見せていない自分。
好きな自分。
嫌いな自分。
認められる自分。
認めたくない自分。
その全部が、自分です。
「あんな自分は本当の自分じゃない」
そう思いたくなる時もあるかもしれません。
でも、そう感じてしまう自分も、また自分です。
どの自分も、自分から切り離さなくていい。
見えない月も、そこにあるように。
見えていない自分も、
見せていない自分も、
認めたくない自分も、
あなたの中にちゃんとある。
そして、その一つひとつに、きっと意味があります。
あなたは、見えている部分だけで判断されなくていい。
どんな自分が出てくる日も、
あなたはあなたのままです。
カウンセリングは、
そんな自分と少しずつ出会い直していく時間でもあります。
見たくなかった自分を
責めるのではなく、
「そこにも自分がいたんだね」
と、少しずつ認めていく。
その積み重ねの中で、
自分の嫌な部分も、
見えなかった部分も、
少しずつ受け止められるようになっていくのだと思います。
そうやって、
自分とのつながりも、
少しずつ深まっていくのかもしれません。
見えない月も、そこにある。
見えていない自分も、そこにいる。
切り離そうとしてしまった自分にも、
自分の中に、そっと居場所を用意してあげられるといいですね。

今日のQuestion?
自分の嫌いな部分の奥には、どんな願いや痛みがありそうですか?
・自分の嫌な部分を、どうしても責めてしまう方
・自分の中にある弱さや怒りを、どう扱えばいいかわからない方
・自分を受け入れたいのに、なかなか受け入れられない方
どうぞ、お気軽にご相談ください。
【あとがき】
ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。
色んな自分があるといえば、
ジャイアンにも色んな顔がありますよね。
のび太をいじめる、
いじめっ子ジャイアン。
のび太を助ける、
劇場版ジャイアン。
母ちゃんに怒られる、
情けない剛田武。
どれが本当のジャイアンの姿なんだろう。
きっと、「どれが本当か」ではなく、
どれもがジャイアンの一部。
時と場合によって、
見えているジャイアンが違うだけで。
誰にでも、
いろいろな自分がいます。
優しい自分。
意地悪な自分。
強がる自分。
弱気な自分。
誰かを助けたい自分。
誰かに助けてほしい自分。
役割を演じる自分。
その役割を降りたくなる自分。
その全部が、自分。
それでいいし、
それがいい。
僕らは、
パーフェクトヒューマンではありません。
完璧ではないから間違えることもある。
余裕がなくなることもある。
人に優しくできない日もある。
でも、不完全だからこそ、
人と関わって、助け合いながら生きていく。
それでいいし、
それがいい。
だから、たまには、
ジャイアンリサイタルを開いたっていい。
誰かに迷惑をかけなければ。
……いや、たまには迷惑だってかけていい。
少しくらい音を外しても、
大きな声で歌いすぎても、
それもまた、
自分らしさの一部。
それを、無理に抑えようとしすぎるから、
苦しくなってしまうこともあるんだよね。
見えない月も、
そこにある。
見えていない自分も、
そばにいる。
そんな自分とも、
劇場版ジャイアンみたいに、
助け合える日。
できるといいな🌚🌝
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