人生の最後の言葉は、今日の生き方から紡がれていく——『ライオンのおやつ』を読んで



あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。



※この記事は、物語の結末や主人公の最後の言葉に触れています。


本を読み終えた時、
時計を見ると夜中の3時でした。


0時には寝るつもりだったのに、
途中でやめることができませんでした。


何度も涙が出て、
何度も中断しながら、
それでも最後まで読み続けました。


小川糸さんの『ライオンのおやつ』という小説です。


主人公の雫は、33歳。


病気の治療を続けてきたものの、
回復することはなく、人生の終わりが近いことを告げられます。


そして、残された時間を過ごす場所として、
瀬戸内の島にあるホスピス「ライオンの家」を選びました。


人生の終わりを描いた物語と聞くと、
少し重たい印象を持つかもしれません。


もちろん、悲しさも、苦しさもあります。


でも、読み終えたあとに僕の心に残っていたのは、
死の怖さだけではありませんでした。


むしろ、
「生きることって、こんなにも愛おしいんだ。」


そんな気持ちでした。


雫は、病気が分かってから、
治療に力を尽くしてきました。


つらい治療にも耐え、
よくなることを信じて頑張ってきた。


それなのに、病気は治らなかった。


自分はこんなに頑張ったのに…

どうして、よくならなかったのだろう。

どうして、自分なのだろう。


雫の中には、
悲しさだけではなく、
怒りや悔しさもあったのだと思います。


雫は、まだ33歳。


これから出会うはずだった人。

これから見るはずだった景色。

これから経験するはずだったこと。


雫には、まだ味わいたかった人生が、
たくさん残されていました。


だから、「もっと生きたい」と願うのは、
とても自然なことだったのだと思います。


僕はどこかで、
「死を受け入れる」とは、


「もう十分に生きた」

「思い残すことはありません」


と、穏やかに言える境地に至ることだと
思っていたのかもしれません。


生きたいと願ったり、
死ぬのが怖いと泣いたりするのは、
まだ受け入れられていないからなのだと。


雫は、ライオンの家へ来たことで、
自分では死を受け入れたつもりでいました。


けれど、ある子どもとの出会いを通して、


もっと生きたい。

もっとこの世界の景色を見ていたい。

自分の身体を失うのが悲しい。


そんな気持ちを素直に吐き出しました。


その姿を見て、僕もハッとしました。


死を受け入れるとは、
「もっと生きたい」という気持ちを消すことではない。


生きたい気持ちも、
死ぬことへの怖さも、
失う悲しさも、


そのまま自分の中にあっていいと、
認めてあげることなのかもしれません。


もっと生きたいと思うほど、
この世界を好きだった。


その気持ちは、
最後まで大切にしていいのだと思いました。


生きるために、
できる治療を重ねてきた雫。


けれど、残された時間が限られていると知り、
治療のためだけに時間を使うことをやめました。


そして、暖かい場所で海を眺めながら過ごしたいと、
ライオンの家を選びます。


雫は、終わりを待つためではなく、
残された日々を自分のために生きるために、
ここへ来ました。


ただ、場所を選んだからといって、
すぐに心まで自由になれたわけではありません。


もっと生きたいと願うこと。

誰かを好きになること。

叶わなかった願いに、
もう一度、手を伸ばすこと。

悲しい時に、
悲しいと言うこと。


雫は、ライオンの家で人と出会い、
自然に触れながら、


そんな自分の気持ちを、
少しずつ許せるようになっていきます。


病気と闘うために使ってきた時間を、
もう一度、自分のものとして生きていく。


諦めたから、
ライオンの家へ来たのではない。


最後まで自由に生きるために、
自分でこの場所を選んだ。


僕には、そんなふうに見えました。


ライオンの家では、毎週日曜日に、
「おやつの時間」があります。


入居者が、人生で思い出に残っているおやつをリクエストし、
その中から選ばれた一つを再現してくれます。


そのおやつを、みんなでいただきます。

けれど、ただおやつを食べるだけの時間ではありません。


そのおやつを、誰と食べたのか。

どこで食べたのか。

その時、どんな気持ちだったのか。

そんな、おやつにまつわるエピソードにも耳を傾けながら、
その人の思い出ごと、みんなで受け取っていくのです。


一つのおやつから、
その人が生きてきた時間がよみがえります。


けれど、リクエストしたおやつが選ばれるまでには、
時間がかかることもあります。


そのため、本人がそのおやつを食べられるとは限りません。


それでも、残された人たちは、
その人が大切にしていた味を分かち合い、
そこに込められた記憶を受け取っていきます。


誰かがいなくなったあとも、
その人の記憶は、味や香りとともに、
誰かの中に残っていく。


「食べること」と「生きること」は、
こんなにも深くつながっているのだと感じました。


僕も、この本を読みながら、
人生の最後に、もう一度食べたいおやつは何だろうと考えました。


きっと大切なのは、
特別なお菓子かどうかではありません。


その味から、
誰と過ごした時間がよみがえるのか。


そして、その時の自分が、
何を感じ、何を思っていたのか。


おやつには、
誰かとの記憶だけでなく、
その時を生きていた自分の気持ちまで、
一緒に残っているのだと思います。


雫には、犬と暮らしてみたいという、
ずっと心に残っていた願いがありました。


けれど、その願いを叶えられないまま、
ここまで過ごしてきました。


ライオンの家で、
雫は犬の六花と出会います。


六花と散歩をしたり、
食事をあげたり、
そばで過ごしたりする。


自分の犬として迎え、
一生をともに暮らすことはできなくても、


「犬と一緒に過ごしたい」

という願いは、
少し違う形で叶っていきました。


雫にとって六花との時間は、
ずっと思い描いていた暮らしの一部に、
触れる時間だったのだと思います。


願いを、思い描いていた通りの形で
叶えることはできないかもしれません。


それでも、その願いの中で
本当に求めていたものに触れる方法は、
他にもあるのかもしれません。


人生の終わりが近づいたからといって、
すべてを諦めなくてはいけないわけではない。


まだ、新しく経験できることがある。

まだ、叶えられる願いがある。


六花と過ごす雫の姿を見ながら、
そんなことを感じました。


ライオンの家の周りには、
瀬戸内の穏やかな自然が広がっています。


海と空。

やわらかな陽ざしと風。

そして、葡萄畑。


その景色の中で雫は、
葡萄を育て、ワインを造っている
タヒチ君と出会います。


タヒチ君との間に流れる時間も、
とても印象に残りました。


病を抱える人としてだけではなく、
一人の女性として誰かと出会い、
心を動かしていく。


人生の終わりが近づいていたとしても、
誰かを好きになってはいけないわけではありません。


心が動くことまで、
諦めなくていい。


葡萄畑の景色も、
タヒチ君との出会いも、
雫の病そのものを
取り去ってくれるわけではありません。


それでも、残された時間の中に、
新しい喜びや、ときめきが生まれていく。


そんな雫の姿から、
人生の終わりが近づいていても、
心が動く瞬間は、まだ残されているのだと感じました。


身体の状態を変えることはできなくても、
心を自由にしてくれる景色がある。


痛みや苦しさがなくならなくても、
温かさを感じさせてくれる人がいる。


そんな景色や人とのつながりもまた、
生きていく力になるのだと思います。


雫は、自分には帰る場所も、
頼れる人もいないと思っていました。


けれど、ライオンの家で過ごす中で、
新しい人たちと出会い、
これまで見えていなかったつながりにも、
少しずつ気づいていきます。


ずっとひとりぼっちだと思っていた雫が、


「自分は、ひとりではなかった」


と感じていく姿に、
何度も心が震えました。


離れていても、
長い間会えなくても、
自分を思ってくれていた人がいた。


そして今、
そばにいてくれる人もいる。


人とのつながりは、
いつも目に見える形で
感じられるわけではありません。


自分には誰もいないと思う時にも、
気づいていないだけで、
誰かとの間に残っているものが
あるのかもしれません。


雫は、新しい出会いを重ねながら、
これまで自分が受け取ってきたものにも、
気づいていきました。


命の長さは変えられなくても、

自分はひとりではなかったと知ることで、
残された時間の見え方は変わっていく。


そんなことを感じました。


この本の中で、特に心に残ったのは、


「元気だった頃の身体には戻れなくても、
元気だった頃の心は取り戻せた。」


という雫の思いです。


身体は思うようにならず、
以前のように動くこともできない。


できないことは、
少しずつ増えていきます。


それでも雫は、
ライオンの家で人や自然に触れながら、


誰かと笑ったり、
心をときめかせたり、
「もっと生きたい」と願ったりする心を、
少しずつ取り戻していきました。


失われていくものがある一方で、
もう一度、受け取れるものもある。


身体の状態が元に戻らなくても、
心まで失われてしまうわけではない。


雫にとっての回復は、
身体が元の状態へ戻ることではなく、


残された時間を、
もう一度、自分の人生として
感じられるようになることだったのかもしれません。


そんな雫の姿に、
僕は静かな勇気をもらいました。


「ライオンの家」という名前の由来も、
とても印象的でした。


百獣の王であるライオンは、
ほかの動物に襲われる心配がなく、
安心して眠り、食べることができる。


「ここでは、安心して過ごしてください」


そんな願いが、
この名前には込められていました。


雫も、ライオンの家で過ごす中で、
少しずつ自分の本音に触れ、
それを素直に表せるようになっていきます。


怖い。
悲しい。
悔しい。

もっと生きたい。


誰かに受け止めてもらえるという安心があるからこそ、
人は、自分でも抑えていた気持ちに
気づけることがあるのかもしれません。


安心とは、
何も感じなくなることではありません。


泣いてもいい。
怒ってもいい。
弱音を吐いてもいい。

自分の中にある気持ちを、
なかったことにしなくていい。


ライオンの家は、
人生の終わりを、ただ静かに過ごすための場所ではなく、


最後まで、その人がその人として
生きることのできる場所だったのだと思います。


病気になることも、
人生の終わりがいつ訪れるのかも、
自分で選べるものではありません。


雫も、33歳で病気になることを
望んだわけではありません。


治療が思うような結果にならなかったことも、
残された時間も、
自分で決めることはできませんでした。


それでも、
すべてを選べなくなったわけではありません。


残された日々を、

どこで過ごすのか。
誰と笑いたいのか。
何を味わいたいのか。
どんな景色を見たいのか。
どんな思いを伝えたいのか。

その一つひとつを、
雫は自分で選んでいきました。


雫が選んでいたのは、
「どう死ぬか」ではなく、


最後まで、
「どう生きたいか」
だったのだと思います。


人生の終わりが近づいても、
その人の人生まで、
先に終わるわけではない。


最後の瞬間まで、
自分の人生を生きていていい。


雫の姿から、
そんなことを教えてもらいました。


物語の終盤で雫は、
自分が孤独だと思っていた人生を、
少し違う角度から見つめ直します。


自分がひとりで過ごしてきた時間の向こうで、
誰かの人生が育っていたこと。


自分では気づいていなかったけれど、
自分もまた、誰かの養分となり、
種を蒔いていたこと。


そして、その人に出会えたこと。


雫は、その出会いを、
自分の人生における「最高の収穫」として受け取ります。


自分の孤独も含めて、
これまで歩んできた人生を、


「これでよかった」


と、ようやく認められたように感じました。


僕はその場面を読みながら、
本当によかったと思いました。


33年という人生は、
短かったかもしれない。


それでも、
ひとりぼっちの人生ではなかった。


雫の命は、
確かに誰かの人生につながり、
知らないところで実を結んでいたのです。


そして最後に、雫は、


「ごちそうさまでした。」


と口にします。


その言葉を読んだ時、
胸がいっぱいになりました。


雫がようやく、
自分の人生をまるごと受け取ることが
できたように感じたからです。


嬉しかったことも。
悲しかったことも。

出会えた人も。
別れた人も。

味わえたものも。
叶わなかったものも。

もっと生きたかったという思いも、
きっと消えなかったと思います。


それでも雫は、
自分の人生を最後まで味わい、
そのすべてを受け取った。


「ごちそうさまでした」という言葉は、


自分が生きてきた人生と、
自分を生かしてくれたすべてに向けた、


感謝の言葉でもあったのかもしれません。


雫の言葉を受けて、
僕は、自分の人生の最後には
何と言うだろうと考えました。


今の僕が、
人生の最後に伝えたい言葉は、


「おかげさまでした」


なのかなと思います。


自分一人の力だけで、
今日まで生きてきたわけではありません。


家族や、
そばにいてくれた人たち。


今日まで一緒に生き、
動き続けてくれた、この身体。


命を支えてくれた食べ物。


水や空気、
陽の光や自然。


目に見えるものも、
目に見えないものも含めて、


数えきれないほどのものに
支えられながら、生きてきました。


自分だけの人生でありながら、
自分だけで生きてきた人生ではない。


だから人生の最後には、
そのすべてに向けて、


「おかげさまでした。」


と、感謝を伝えられたらと思います。


『ライオンのおやつ』は、
死を描いた物語でありながら、


今日をどう生きるか。


そのことを、
静かに教えてくれる物語でした。


僕たちは、
人生にはいつか終わりがあることを
つい忘れて、毎日を過ごしています。


だからこそ、

食べられること。
笑えること。
誰かと話せること。

景色を見られること。
誰かを大切に思えること。
心が動くこと。

そして、
自分で選べること。


その一つひとつが、
とても尊いものなのだと気づかされました。


「もっと生きたい」


そう願うことも、
きっと、生きることの一部なのだと思います。


『ライオンのおやつ』は、
自分の人生最後の言葉は何だろうと
考えるきっかけをくれた一冊でした。


雫は、
「ごちそうさまでした。」

僕は、
「おかげさまでした。」


読む人それぞれの心に、
浮かぶ言葉があるのだと思います。


そして、その最後の言葉は、
人生の最後に突然生まれるのではなく、


今日、何を味わうのか。

誰と過ごすのか。

何を大切にするのか。


そんな一日一日の生き方によって、
少しずつ紡がれていくものなのかもしれません。










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