一人で汗をかいていたのではなく、一緒に汗をかいてくれていた|嫌だった手汗と対話して気づいたこと



あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。



僕には、ずっと嫌だった症状があります。


誰にも相談できずに、
一人ずっと抱えていたコンプレックスでした。


それは、緊張や不安を感じたときに出る手汗です。


手のひらに汗をかくこと。
それだけなら、誰にでもあることかもしれません。


でも僕にとっては、
「それだけ」では済まないものでした。


もし、誰かに手を触られたときに、
濡れていることに気づかれたらどうしよう。


「変だと思われるんじゃないか」
「気持ち悪いと思われるんじゃないか」
「緊張していることがバレるんじゃないか」


そんな不安がありました。


特に浪人生時代は、
テキストや解答用紙が湿ることだけでなく、
ペンや机に汗がついてしまうことも気になりました。


自分が触ったものが濡れている。
少し温かくなっている。


そのことに誰かが気づいたら、
変に思われるんじゃないか。


そう思うと、
手汗をかいている自分を、
誰にも見られないように必死で隠していました。


今日は、そんな僕がセルフカウンセリングのワークを通して、
ずっと嫌っていた手汗と対話したときの話を書いてみます。


僕が手汗のことを強く意識するようになったのは、
浪人時代のことでした。


通信制高校を卒業したあと、
僕は大学を目指して、1年間予備校に通うことにしました。


予備校には自習室があり、
そこでは授業がない時間でも、
自由に勉強できる場所です。


ただ、その自習室は個人ブースではなく、
学校の教室のように机とイスが等間隔に並んでいる空間でした。


イスに座って勉強を始めようとすると、
周りにいる人の気配が気になりました。


ページをめくる音。
ペンを走らせる音。
人が少し動く気配。


集中しようと思えば思うほど、
そうした小さな音や動きが、どんどん気になっていきました。


そして、周りの気配や視線を、
必要以上に感じてしまい、


「周りに人がいる空間って、
こんなに苦しいんだっけ……?」


そう感じているうちに、
身体の緊張感が高まっていきました。


そして気づくと、
手のひらに嫌な汗をかいていました。


通信制高校時代は、
テストや人前で緊張する場面がほとんどありませんでした。


だから僕は、
緊張すると手汗がひどくなることを、
いつの間にか忘れていました。


でも、治っていたわけでも、
克服したわけでもありませんでした。


予備校の自習室で、
久しぶりにその感覚を思い出してしまったのです。


一度気づいてしまうと、
そこからは悪循環でした。


少しでも手に汗を感じると、


「あぁ、ヤバい、緊張してる」
「また汗が出てきた」
「このままだと紙が濡れる」
「周りにバレたらどうしよう」

そんな考えばかりが頭の中をぐるぐる回りました。


そして、手汗を気にすれば気にするほど、
余計に手汗が出てくる。


まるで、「気にしないようにしよう」と思うほど、
その存在が大きくなっていくようでした。


僕は、手汗で濡れたテキストや解答用紙を、
誰にも見られたくありませんでした。


ペンや机に汗がついていないか。
自分が触ったものが濡れていないか。
手元を誰かに見られていないか。


そんなことが気になって、
ずっと勉強以外のことに意識が向いてしまいました。


手元を見られないようにする。
紙が湿っていることに気づかれないようにする。
できるだけ人と距離を取る。


そうしているうちに、
僕は自分から周りの人との距離を作っていきました。


予備校に通っているのに、
誰かと仲良くなることもなく、
自習室にも行かなくなりました。


勉強に集中したいのに、
人がいる場所が苦しい。


本当は大学に合格したいのに、
そのための場所にいることがしんどい。


そんな孤独な浪人生活でした。


今振り返ると、
僕が苦しんでいたのは、
手汗そのものだけではなかったのだと思います。


「こんな自分を見られたくない」
「緊張している自分を知られたくない」
「弱い自分がバレたくない」


そんな思いを、
ずっとひとりで抱えていたのだと思います。


当時の僕にとって、手汗は「敵」でした。


出てきてほしくないもの。
恥ずかしいもの。
自分を困らせるもの。
自分の弱さを人に知らせてしまうもの。


だから僕は、
手汗をなくしたかったのだと思います。


「手汗さえ出なければ」
「手汗さえ止まれば」
「この恥ずかしさも、苦しさも、なくなるのに」


そんなふうに、ずっと思っていました。


でも、あれから十数年が経ち、
カウンセリングや心理療法を学ぶ中で、
僕は少しずつ違う見方を知っていきました。


・症状は、ただ邪魔をしているだけではないかもしれない。

・身体の反応には、何か意味があるのかもしれない。

・嫌ってきたものの中にも、自分を守ろうとしてくれていた部分があるのかもしれない。


そんな視点でした。


あるとき、セルフカウンセリングのワークの中で、
僕は手汗を「外在化」してみました。


外在化というのは、
自分の中にある悩みや症状を、
少し自分の外に置いて眺めてみるような関わり方です。


「手汗が出る自分はだめだ」
ではなく、


「手汗という存在が、今ここにいる」
として見てみる。


そして、その手汗に問いかけてみました。


「もし、この手汗に口があり、声があるとしたら、
何と言っているのだろう?」


「もし、この手汗が何かを伝えようとしているとしたら、
何を伝えたいのだろう?」


そんなふうに、
僕は手汗と対話してみました。


最初は、半信半疑でした。

「こんなことをして、何か出てくるのかな」

「何も出てこないんじゃないかな」


そんな気持ちもありました。


でも、実際に問いかけてみると、
自分でもびっくりするような答えが出てきました。


もちろん、
本当に手汗から声が聞こえたわけではありません。


でも、心の中では、
はっきりとそう感じ取れたのです。


「僕は、君が一人ぼっちだと感じないように出てきたよ」

「君を応援するためにいるんだよ」

「僕も一緒に汗をかいて、立ち向かっているんだよ」


そのとき、
僕の中で手汗の見え方が変わりました。


手汗は、僕を苦しめるために出ていたわけではない。

手汗は、ずっと僕を応援してくれていた。


そんな存在だったんだ。


ずっと僕は、
手汗と戦っているような感覚がありました。


手汗が出たら負け。
手汗を止められたら勝ち。


そんなふうに、
自分の中で勝手にルールを作り、
ひとりで戦っていたのだと思います。


でも、本当はそうではありませんでした。


手汗は、
緊張している僕と一緒にいてくれていた。


怖さや不安を感じる場面で、
ひとりで固まっている僕のそばにいて、


「大丈夫」
「一人じゃないよ」
「一緒に汗をかいているよ」


そんなふうに言ってくれていたのです。


それなのに僕は、
その声を聴こうとせずに、
一方的に拒否して、距離を取っていました。


「出てこないでほしい」
「恥ずかしいからやめてほしい」
「僕を困らせないでほしい」


そうやって、
ずっと手汗を敵のように扱っていたのだと思います。


でも、手汗は敵ではありませんでした。


僕がひとりで頑張っていると思っていた場面で、
手汗も一緒に頑張ってくれていた。


一人で汗をかいていたのではなく、
一緒に汗をかいてくれていた。


そう思えたとき、
ずっと嫌だった手汗が、
少しだけやさしい存在に見えました。


もちろん、そう思えたからといって、
手汗が完全になくなったわけではありません。


緊張や不安が高まると、
今でも身体は反応します。


でも、
その反応に対する関わり方は変わりました。


以前の僕は、
手汗が出るとすぐに、


「まただ、ほんと嫌だ」
「恥ずかしい」
「止まってくれよ」


と思っていました。


でも今は、
少しだけ違う受け取り方ができます。


「ああ、緊張しているんだな」
「大事な場面なんだな」
「身体も一緒に頑張ってくれているんだな」


そんなふうに思えることが増えました。


嫌っていたものの中に、
実は「味方」がいた。


これは、僕にとって大きな気づきでした。


悩みや症状があるとき、
僕たちはどうしてもそれを消したくなります。


不安をなくしたい。
緊張をなくしたい。
涙を止めたい。
怒りを抑えたい。
身体の反応を消したい。


もちろん、つらいものはつらいです。


生活に支障があるなら、
適切な対処や専門的なサポートが必要なこともあります。


でも、一方で、
その症状をただ「悪いもの」として扱うだけでは、
見えなくなってしまうものもあるのだと思います。


その反応は、
何を伝えようとしているのか。


その症状は、
どんな場面で出てくるのか。


その存在は、
本当に自分を苦しめるだけのものなのか。


もしかしたら、
ずっと自分を守ろうとしていたのかもしれない。


もしかしたら、
一人で頑張ってきた自分のそばに、
ずっと一緒にいてくれたのかもしれない。


カウンセリングでは、
そうした声を一緒に聴いていくことがあります。


無理に消そうとする前に、
まずはその存在に目を向けてみる。


責めるのではなく、
少し距離を取って眺めてみる。


そして、
「あなたは何を伝えようとしているの?」
と問いかけてみる。


そこから、
思いがけない気づきが生まれることがあります。


僕は長い間、
手汗を嫌っていました。


恥ずかしいもの。
隠したいもの。
自分を困らせるもの。


そう思っていました。


でも、セルフカウンセリングのワークを通して、
手汗と対話してみたとき、
その見え方が変わりました。


手汗は、僕を邪魔していたのではなく、
緊張している僕と一緒にいてくれていた。


怖い場面で、
ひとりぼっちにならないように、
一緒に汗をかいてくれていた。


そう感じました。


今、あなたにも
嫌っている自分の反応があるかもしれません。


不安。
緊張。
涙。
怒り。
のどの詰まり。
胸のモヤモヤ。


それらは、
ただ消すべきものではなく、
あなたに何かを伝えようとしているのかもしれません。


でも、ひとりでその声を聴くのは、
簡単なことではないと思います。


嫌ってきたものほど、
近づくのが怖かったり、
どう向き合えばいいのか、
分からなかったりするからです。


そんなときは、
無理にひとりで向き合おうとしなくても大丈夫です。


カウンセリングでは、
あなたが嫌ってきた反応や、
隠してきた気持ちの声を、
一緒にゆっくり聴いていくことができます。


消すためではなく、
責めるためでもなく、
その奥にある大切な声に出会うために。


あなたの中にある反応も、
もしかしたら、
あなたと一緒に生きてきた仲間なのかもしれません。


その声を、
あわてず、責めず、
一緒に聴いていけたらと思っています。

カウンセリングルーム稲穂の部屋
・緊張すると手汗が出てしまう方
・自分の身体の反応を責めてしまう方
・嫌っていた自分の一部と、少しずつ向き合いたい方



どうぞ、お気軽にご相談ください。


【あとがき】


ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。

ある日、手汗をかいた手のひらを、
太陽に向けて伸ばしてみました。


すると、子どもの頃に歌った
『手のひらを太陽に』を思い出しました。


太陽にすかした手のひらには、
血が流れていることも、
汗をかいていることも、
たしかに自分が生きている証として映る。


緊張していること。
怖がっていること。
不安を感じていること。
手のひらに汗をかいていること。


それらは、
恥ずかしいものでも、
隠すだけのものでもなくて、


「僕らはみんな、生きている」


という身体からのサイン。


ずっと嫌だった手汗も、
太陽の光にすかしてみれば、


キラキラと輝いて見えた。


そのキラキラによって、
見方が変わり、
味方に変わっていった。


症状は、僕を困らせる敵ではなく、
一緒に生きてきた仲間だったのかもしれない。


手汗も。
緊張も。
不安も。
弱さも。
怖さも。


「僕の中で、みんな一緒に生きている。」


そんなふうに思えたとき、
手汗をかいた手のひらを、
やさしく握り返すことができたのでした🌾





あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセリング