あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。
先日、妻と島根・鳥取へ行ってきました。
四日市から車で出発し、出雲大社へ。
そして、鳥取の境港では、
ゲゲゲの鬼太郎でおなじみの、
水木しげるロードにも行きました。
夜の水木しげるロードは、
昼間とはまったく違う雰囲気でした。
人通りは少なく、
ライトに照らされた妖怪たちが、
静かにそこにいる。

本当に妖怪が出てきそうな、
少し不思議で、少し怖くて、
でも、どこか楽しい時間でした。
その中でも印象に残っているのが、
妖怪神社で出会った一匹の黒猫です。
一反木綿の鳥居の前にいた黒猫は、
近づいても逃げることなく、
そのまま鳥居をくぐり、
神社の水場で水を飲んでいました。
こちらの様子を気にすることもなく、
まるで、そこが自分の居場所であるかのように。
その姿を見て、僕は思いました。
見えない何かがある。
それは怖いことかもしれない。
でも、決して怖いことだけではない。
そして、僕たちの中にある、
まだ名前のついていない感情や、
うまく説明できない自分も、
もしかしたら同じなのかもしれません。
今回は、夜の水木しげるロードで出会った黒猫と、
ねずみ男という存在から感じた、
「自分らしく生きること」について書いてみたいと思います。

見えないものを、怖いだけで終わらせない
僕たちは、よく分からないものに出会うと、
つい怖くなります。
理解できないもの。
説明できないもの。
名前のつけられないもの。
そういうものを前にすると、
人は不安になります。
「これは何だろう」
「どう扱えばいいのだろう」
「自分の中にあってはいけないものではないか」
そんなふうに、
見えないものを怖いものとして扱ってしまうことがあります。
でも、水木しげるロードを歩いていると、
少し違う感覚になりました。
妖怪は、たしかに少し怖い存在です。
でも、それだけではありません。
どこかユーモラスで、
どこか人間くさくて、
どこか寂しさもあって、
どこか愛らしさもある。
怖いけれど、怖いだけではない。
分からないけれど、
分からないからこそ、想像できる。
そう思うと、
見えないものとの距離が、少し変わる気がしました。
心の中にある感情も、
もしかしたら同じなのかもしれません。
不安。
怒り。
寂しさ。
弱さ。
ずるさ。
情けなさ。
そういうものを、
ただ「悪いもの」として追い払おうとすると、
余計に怖くなることがあります。
でも、少しだけ想像してみる。
・この感情は、何を伝えようとしているのだろう
・この弱さは、どこから来ているのだろう
・この怖さは、何を守ろうとしているのだろう
そうやって関わってみると、
自分の中の見えないものとも、
少しずつ共存できるのかもしれません。
妖怪神社の黒猫が教えてくれたこと
妖怪神社で出会った黒猫は、
とても自然体でした。
人が近づいても慌てず、
逃げることもなく、
鳥居をくぐり、水を飲む。

その姿には、
「ここにいていい」という安心感のようなものがありました。
黒猫が何を考えていたのかは分かりません。
ただ、僕にはその姿が、
とても堂々として見えました。
人間の都合も、
こちらの視線も、
「どう見られているか」も、
気にしていないようでした。
ただ、そこにいる。
自分の歩幅で歩き、
自分の喉を潤し、
自分の居場所にいる。
それだけなのに、
とても魅力的でした。

人間は、ずいぶん「どう見られるか」を気にして生きています。
変に思われないだろうか。
嫌われないだろうか。
浮いてしまわないだろうか。
ちゃんとしていないと思われないだろうか。
そうやって、
自分の自然な動きを止めてしまうことがあります。
でも、あの黒猫は、
ただ黒猫としてそこにいました。
その姿を見て、
「自分としてそこにいる」ということの静かな強さを感じました。
ねずみ男という、中途半端で愛される存在
水木しげるロードには、170体以上ものブロンズ像が並んでいます。
その中で、改めて心に残ったのが、ねずみ男です。

ねずみ男は、人間と妖怪の間に生まれた、半妖怪です。
人間でもない。
妖怪でもない。
どちらにも完全には属していない存在です。
しかも、決して立派な人物ではありません。
ずるいところもある。
欲深いところもある。
情けないところもある。
調子のいいところもある。
でも、不思議と憎めない。
むしろ、そういうところも含めて、
ねずみ男らしさになっているように感じます。
実は以前、心理療法のイメージワークの中で、
自分の短所と長所を合わせたときに、
「ねずみ男」が浮かんできたことがありました。
そのとき僕は、
ねずみ男の「中途半端さ」と、
自分の中にある「中途半端さ」が重なって見えました。
当時のことは、こちらの記事にも書いています。
👉「ありのままの自分を愛する」とは?
中途半端であること。
どちらにもなりきれないこと。
きれいに説明できないこと。
それは、かつての僕がそうだったように、
人によってはコンプレックスになるかもしれません。
「自分は何者にもなれていない」
「ちゃんとした大人になれていない」
「どこにいても浮いてしまう」
「自分には居場所がない」
そんなふうに感じることもあると思います。
でも、ねずみ男は、
中途半端なまま生きています。
ずるさも、弱さも、情けなさも抱えながら、
それでも自分らしく生きています。
そして、鬼太郎や目玉おやじと一緒にいる。
大切な仲間として、
その世界の中にちゃんと居場所がある。
それは、とても希望のあることだと思いました。
完璧でなくてもいい。
きれいに整っていなくてもいい。
中途半端に見える自分にも、ちゃんと居場所はある。
ねずみ男を見ていると、
そんなことを感じます。

自分を殺してきた自分も、否定しなくていい
自分らしく生きる。
それは、とても大切なことだと思います。
でも、ここで忘れたくないことがあります。
それは、
「自分らしく生きる」という言葉で、
今までの自分を否定しないことです。
周りに合わせて、
自分の気持ちを飲み込んで、
我慢して生きてきた。
そんな自分を、
「本当の自分ではない」と切り離したくなることがあります。
本当はもっと自由な自分がいる。
本当はもっと素直な自分がいる。
本当はもっと自分らしく生きたい。
そう感じることも、もちろん大切です。
でも、僕は思います。
周りに合わせてきた自分も、
自分を殺して我慢してきた自分も、
それもちゃんと「自分」なのだと。
本当の自分とは、
何かきれいで、自由で、のびのびした自分だけを指すのではないと思います。
怖くて言えなかった自分。
嫌われたくなくて合わせてきた自分。
波風を立てないように黙ってきた自分。
自分の気持ちより、誰かの気持ちを優先してきた自分。
そのすべても含めて、
今までを生きてきた自分です。
だから、
「こんなの本当の自分じゃない」と切り捨てなくていい。
むしろ、その自分にこそ、
「ここまでよく頑張ってきたね」と声をかけてあげたい。
自分を殺してきたのは、
弱かったからではないと思います。
その時は、そうするしかなかった。
そうすることで、自分を守ってきた。
その場を生き延びてきた。
だからこそ、
まずはその自分を否定せずに、認めて、一緒にいてあげること。
そこから少しずつ、
「これからはどう生きたいか」を選んでいけばいいのだと思います。
自分とは、月のようなもの
自分とは、夜空に浮かぶ月のようなものなのかもしれません。
満月のように、
自分の輪郭がはっきり見えるときもあります。
自分が何を感じているのか。
何を大切にしたいのか。
どこへ向かいたいのか。
そういうものが、
パーッと明るく照らされるように分かるときもある。
でも、いつもそうとは限りません。
新月のように、
自分がまるで見えなくなるときもあります。
自分が何を感じているのか。
何を大切にしたいのか。
どこへ向かいたいのか。
その同じ問いにすら、
うまく答えられない時期があります。
でも、月が見えないからといって、
月そのものが消えてしまったわけではありません。
ただ、今は見えていないだけ。
自分も同じなのだと思います。
そして、たとえ満月のように見えているときでも、
僕たちが見ているのは月の半分だけです。
月には、こちらからは見えない裏側があります。
どこまでいっても、全てが見えることはないのです。
それと同じように、
人にも見えている部分と、見えていない部分があります。
家族に見せる自分。
友人に見せる自分。
仕事で見せる自分。
一人のときの自分。
カウンセリングの中で、
少しだけ出てくる自分。
人によって、
見せる自分が違うのは自然なことです。
どれか一つだけが本当の自分で、
他は偽物というわけではありません。
明るく振る舞う自分も、
気を遣う自分も、
黙っている自分も、
甘えたい自分も、
誰にも見せていない裏側の自分も。
その全部が、自分なのだと思います。
だから、全部を誰かに見せなくてもいい。
無理にさらけ出さなくてもいい。
分かってもらおうと急がなくてもいい。
言葉にできないまま、大切に持っていてもいい。
大切なのは、
その裏側の自分を、自分自身が否定しないこと。
「そういう自分もいるんだね」
「まだ誰かに見せなくてもいいよ」
「でも、ちゃんとここにいることを知っているよ」
そんなふうに、
自分が自分の裏側を認めてあげること。
それが、とても大切なのだと思います。

見えない自分も、そこにいていい
水木しげるロードの夜に出会った、
妖怪たち、黒猫、そしてねずみ男。
そのどれもが、
「見えないもの」や
「中途半端なもの」を、
すぐに怖がらなくてもいいのだと教えてくれた気がします。
僕たちの心の中にも、
いろいろな自分がいます。
怒りっぽい自分。
寂しがりな自分。
ずるい自分。
怖がりな自分。
すぐ逃げたくなる自分。
そして、周りに合わせて、
自分の気持ちを飲み込んで、
我慢してきた自分。
その自分も、
なかったことにしなくていい。
自分とは、月のようなもの。
見える日もあれば、
見えない日もある。
人に見せている面もあれば、
誰にも見せていない裏側もある。
でも、見えていないからといって、
存在しないわけではありません。
その全部を含めて、自分です。
だから、すぐに変わらなくてもいい。
無理に全部をさらけ出さなくてもいい。
自分らしく生きることを急がなくてもいい。
まずは、自分の中にいるいろいろな自分に、
気づいてあげること。
「そうか、そんな自分もいるんだね」
「まだ見せなくてもいいよ」
「でも、そこにいていいよ」
そうやって、
自分が自分と一緒にいてあげること。
それが、自分を大切にすることなのだと思います。
あなたの中にいる、
まだ名前のついていない何かも。
見えない月の裏側のように、
誰にも見せていない自分も。
なかったことにしなくていい。
否定しなくていい。
そこにいていい。
その全部を含めて、
あなたなのだと思います。

今日のQuestion?
あなたの中にある「まだ名前のついていない自分」は、どんな自分ですか?
・自分らしく生きたいけれど、自分を出すのが怖い方
・周りに合わせすぎて、自分の気持ちが分からなくなっている方
・変わりたいけれど、今までの自分も否定したくない方
どうぞ、お気軽にご相談下さい。
【あとがき】
妖怪神社で見た黒猫。
「妖怪が猫に化けたんじゃない?」
と、妻と話していました。
まるで人と同じように、
鳥居をくぐって、
自由に過ごす姿。
これは、絶対ただの猫ではないぞ?
…いや、猫ってそんなものか。
姉夫婦のところにいる猫も、
そんな感じだ。
自由な自分のまま生きる。
それが特別なことではなく、
当たり前に許される人間界であってほしいなと思います。
あ〜猫になりたい。
いや、
猫みたいに自由な心でありたいですね🌾
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