誕生日の意味から考える、「自分らしさ」とは?


あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。

今日はいつもと違った形でブログを書いてみます。

このブログを書いた日は、7月2日。
僕の誕生日です。

この日は、1年の始まりの1月1日から、183日目。
また、1年の終わりの12月31日からも、183日目(うるう年除く)。

一般的には、6月が終わり7月に入ると「1年が半分終わった〜」と言いますが、
正確には、7月2日がちょうど1年の「真ん中」「半分」に当たる日だそうです。

僕は、「競争・目立つ・極端・偏り・一方的」が苦手で、
「中立・中性・中間・バランス・公平」を好みます。

物心がついた頃には、そうだったと思います。
だから、勝ち負けを争ったり、優劣をつけることがとても苦手でした。

決断力がなかったり、自分の意見を言えなかったのも、この影響が強いからかもしれません。
そして、何より大きいのは、決断できないことや、主張できないことを自分の弱み、コンプレックスであると思っていました。

大人になり、これは「環境(アダルトチルドレンな幼少期)により作り上げられたもの」と思っていた時期もありましたが、最近は「元々備わっていたものかもしれない」と思っています。

それは、自分が生まれた日に「意味」を見出したからです。

「意味」を見出したことで、大きな変化が起きました。

・誕生日が「真ん中」を意味するなら、それを望むのは必然ではないか?
・弱み、コンプレックスに思っていたものが、自分に元から備わっていたものだとしたら?
・それは自分の個性、特性であり、それはつまり、自分らしさの象徴なのではないのか?

こう捉えることができました。

そして、この自分らしさがあったから、不必要に周りとぶつかることもなく、不毛な争いに巻き込まれることも少なく過ごせたのだと、今は思います。

つまり、この自分らしさが、自分を守っていてくれたのです。
これは、「ありのままの自分を愛すること」にもつながっていきます。

そして、だからこそ「中立・中性・中間・バランス・公平」を大事にするカウンセラーという仕事に巡り会えたのだと思います。

そう思えると、この日に生まれたことに感謝しかありません。

生んでくれた両親、関わってくれた人たち、ここまで命をつないでくれた食たち、過去の出来事など、自分に関わる全てに感謝の気持ちが、どんどん溢れてきます。

今日の日に、喜びでこの思いを伝えられることにも感謝ですし、
そして、この文章をお読みいただいたあなたにも感謝です。

「じろう」という名は、実はおじいちゃんの名前です。
じっちゃんの名を借りて、カウンセリングをさせていただいています。

僕の誕生日は7月2日で、祖父の月命日が27日
ここにはどんな意味があるでしょうか?

僕には、まるで鏡のように感じられ、不思議とつながっている感覚があります。

最後に、そんな思いを形にして終わりにします。

41歳、稲穂の心で、喜びと感謝で謙虚に生きていく。
さすれば、きっと実りある良い(41)一年になる。
そんな意志(14)をここに残しておきます。


また来年の今ごろ、
どんな一年だったか振り返るのを楽しみにして

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