一年前の誕生日を振り返り、これからの一年を考える


あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。



ちょうど一年前、
誕生日の日にブログを書きました。
https://inaho16.com/birthday-meaning-20240702/


41歳は「こんな一年にする」と
誓いを立てましたが、
どんな一年になったのか、
振り返ってみます。


お付き合いいただけると幸いです。

稲穂の朝


今日は、2025年の7月2日。
僕は42歳になりました。


そして、一年前には、
こんな言葉を残していました。

「41歳、稲穂の心で、喜びと感謝で謙虚に生きていく。
さすれば、きっと実りある良い(41)一年になる」


あれから365日。


この言葉は、僕の背中を
ずっと支えてくれていたように思います。


去年の誕生日、
僕は「自分の生まれた日」に
意味を見出してみようと思いました。


7月2日


それは一年のちょうど真ん中の日。


左にも右にも偏らない、
中立・中間・中性のような位置にある日。


そんな日に生まれた僕が、
勝ち負けや優劣ではなく、


バランスや調和を大切にしてきたことは、
きっと偶然ではなかったのかもしれない。


決断が遅いことや、
自分の意見を強く言えないことも、


「ダメなところ」ではなく、
「もともと備わっていた自分らしさ」だったんだ ——


そう思えたことが、
自分を許し、認め始めたきっかけになりました。


あの日受け取った「自分らしさ」は、
弱さではなく、僕という自分軸 。


それはまるで、
天に真っ直ぐ伸びる稲穂
そんな感じかもしれません。


土にしっかり根を張り、
風に揺れながらも折れない。


その姿を重ね、
僕は少しずつ、
自分の輪郭を見つけられた気がします。



そんな「稲穂のような自分軸」
に気づいた一年は、
不思議なくらい、
たくさんのご縁に恵まれた一年でもありました。


カウンセリングルーム稲穂に訪れてくださった方々。
はじめての一歩を踏み出すときの緊張。
涙とともにこぼれた言葉たち。
沈黙の中に漂っていた、あたたかい願い。


その一つひとつを共に感じさせてもらったことが、
僕の心を深く耕し続けてくれました。


「ああ、この人は今、自分の幸せを探しているんだな」
そう感じるたびに、
僕自身も「あなただけの幸せ」を探す旅を、
また一歩進めていました。


対話の中で芽吹いた気づきや、
ふとこぼれた笑顔。


それらは、僕の稲穂の心に
そっと水を与えてくれるようでした。


気づけばその優しさが、
僕自身をより育ててくれていた気がします。


この一年は、いろんな場所にも訪れました。


上高地、北海道、熱海、
日間賀島、阿蘇山、高千穂……


それぞれの地で、
自然や人とのふれあいが、
心にたくさんの景色を残してくれました。


印象的なものの一つは、
自然と芸術の調和。


「ああ、自分は自然の分身ってそういうことか」
https://inaho16.com/living-naturally/


美術作品に触れながら、
そこに漂っていたのは、自然の気配。


作品は人間が作り出したもの、
だけど、人間だけでは作れない。


人間のために後世に残したけど、
残せたのは自然の力のおかげ。


揺れる木々のように、
僕の心も日々揺れていて。


降りそそぐ陽の光のように、
優しさもあたたかさも、
自分の中にちゃんとある。


そんなふうに重なり合えた瞬間、
自然と僕は別々じゃなく、
もともと一つのものだったんだと感じたのです。


そして、上高地では、
夜の山道を歩く中で、


手元も足元も何も見えないような、
真っ暗闇に包まれる時間がありました。


「一寸先は闇」とはこのことで、
目の前に何があるのかもわからない。


でも、
風にこすれる葉の音や
近くを流れる川のせせらぎが、
たしかにそこにいてくれる。


見えなくても「感じられる」
このことの尊さ。


暗闇を通して気づかされました。


暗闇への恐怖心はあったけれど、
不思議と安心感もあって。


それはきっと、
「見えなくても信じられる何か」が、
僕の中で、芽生えていたからかもしれません。

実り


去年、41歳のはじまりに、
「実りある一年になりますように」と願いました。


そして今、
42歳の今日を迎えて、
ふと思うのです。


そもそも、「実る」って、
何だろう?


辞書的な意味では、
・植物に実がなる
・成果があがる


でも、僕の思う「実り」は、
目に見える結果や成功じゃなくて、


日々の生活の中で、
「自分らしさ」をちゃんと育んでこれたかどうか。


それが、僕にとっての
「実り」だったんじゃないかと。


実は今年に入り、
二つの心理カウンセラー養成講座で、
新たにサポーターとしてお手伝いをしていました。


「ちゃんと勤まるのだろうか?」
「迷惑かけていないだろうか?」


正直、そんな不安も抱えていました。


それでも、「自分なりにはできた」と、
他者を通して、そう思える瞬間がありました。


そして、どちらの講座も無事に、
7月でちょうど終わりを迎えます。


まさに7月は一区切りのタイミング。


この1年を通して、
悩んだ日も、
迷った日も、
上手くいった日も、
いかなかった日も。


誰かと気持ちを交わし、
自分の奥にある声を聞いてきたこと ——

それらすべてが、
確かな「実り」につながっていたのだと思います。


稲穂が大きく揺れるように、
心もたくさん揺れたけれど、


倒れずに、根を張り、
芯を強く持ち、自分自身を大事にしてこれた。


自己犠牲ではなく、
他者貢献。



自分を満たした上で、
他者へ幸せを広げていくこと。



「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」


この言葉の意味は、
ただ、謙虚さを伝えるだけではなく、


自身が実ったからこそ、
次は周りへ幸せを広げよう!の合図。


そんなふうにも、
受け取れました。


この1年を通して、
そう気づけたこと、
そう気づけるだけの実践経験を積めたことに、


自分に「よくやったね」と、
言ってあげたい気持ちになりました。


42歳になった今、
これからの一年は、
どうしたいのか?


この一年で実った実を、
分かち合える人
でありたいと思いました。


与えるために無理するのではなく、
自分を満たしながら、
あふれたものを手渡していけるような、
そんな人に。


土に根を張り、
雨風に揺れながら、
それでも、
空に向かってまっすぐ伸びていく。


稲穂のように。


これが、
僕の原点であり、
大切にしたい想い。



喜びも、
悩みも、
迷いも、
全部まるごと抱きしめながら。


そうやって、僕は、
今日も「自分らしく」生きていきたい。


自然のいのちや響きとともに、
あるがままに、感じるままに、
それこそ正に、自然体のままに。


その想いを、
誕生日の意志として、
2025年もここに残しておきます。


「42歳、実った自分を、世に(42)還元。
満たした(実りを足した)心で、他者貢献」



これが、
この1年の僕のテーマです。


最後までお読みいただき、
ありがとうございました。


ここまで読んでくださったあなたにも、
きっと、


“実り” のようなものが、
心の中に芽吹いているはずです。


どうか、その実り ——
つまり、「あなたらしさ」を


これからも大切に、
やさしく育ててあげてください。


そしていつか、
その実りを交換しあえる日が訪れたら、
それほど嬉しいことはありません。


カウンセリングルーム稲穂の部屋

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