伊吹山登山で感じた、「見えない景色」の中で「見つけた道しるべ」

伊吹山登山


あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。



先日、母と一緒に、
登山をしてきました。


岐阜県関ケ原にある
伊吹山ドライブウェイを通り、
頂上付近の駐車場に車を停め、
山頂を目指しました。


晴れた麓(ふもと)とはうらはらに、
山頂はすっぽりと霧(きり)に包まれていて、
本来見えるはずの山々や琵琶湖も、
白い景色に隠れていました。


でも、その「見えない景色」だからこそ、
「ここから何が見えているんだろう?」
と心が立ち止まり、
いくつもの気づきが浮かんできたのです。


今日は、伊吹山の登山で出会った
「見えないからこそ、見えたもの」を、
3つの気づきとしてお届けします。


一緒に山を登るような感覚で、
ゆっくりと、お読みください。

伊吹山の霧


白い霧に包まれた道を歩いていると、
不安になることがあります。


「この先に、本当に何かあるのだろうか?」
「間違った方向に進んでないかな…?」


登山中、モヤが濃くて、
先の方がまったく見えない時間がありました。


そんなとき ——


鳥の声が聞こえてきました。


「カッコウ、カッコウ」の鳴き声。


姿は見えないけれど、どこからともなく、
はっきりと響いていたのです。


言葉や意味はわからないけれど、
たしかに、そこに「いる」と思える声。


イヌワシ


そして、たまにモヤが晴れると、
イヌワシが悠然と羽ばたいていました。


大きな翼で、ゆっくりと旋回して、
まるで空に浮かんでいるような自由な姿。


鳥との出会いを通して、
ふと思いました。


—— 心も、同じなんじゃないかなって。


心にも、晴れない日、
モヤモヤする日もある。


カッコウのように、姿はわからないけれど、
ハッキリその中に「言葉にならない声」は、
たしかに存在している。


その声に、
ちゃんと耳を傾けているだろうか。
寄り添えているだろうか。


イヌワシは、霧の中を自由に飛んでいた。


モヤが晴れるのを待つのではなく、
今ある空を、今あるままに生きていた。


もしかしたら、
「モヤだ」と感じていたのは、
自分だけだったのかもしれません。


僕たちも、
心の中がモヤモヤしているときこそ、


内側から響いてくる声に耳を澄ませて、
その声に従って、

静かに歩き出すことが大切なのかもしれません。

伊吹山登山


頂上を目指す登山道には、
ふたつのルートがありました。


一つは、歩く時間は短いけれど、
急勾配で階段続きの道。


もう一つは、時間はかかるけれど、
ゆるやかで、なだらかな道。


僕たちは、なだらかな道を選びました。


でも、なだらかな道は、
決して「楽」な道ではありませんでした。


足元には岩がゴツゴツ転がり、
石も多くて、足場はとても不安定。


ときには滑りそうになりながら、
一歩ずつ、足元を見つめて進みました。


先を見て進む余裕は、
ほとんどなかったけれど、
それでも、たしかに進んでいました。

伊吹山登山道階段ルート


下山のときには、
もう一方の階段ルートを通りました。


整っていて歩きやすかったけれど、
もしこれを登ってこようと思ったら…


体力のあまりない僕には、
難しかったと思います。
途中で引き返したかもしれません。


「自分には、自分に合った登り方がある。
好きに選べばいい。」


あらためて、そう気づくことができました。


隣には母がいて、
僕と同じスピードではないけれど、

お互いが見える範囲で、
お互いのペースでゆっくり歩いていました。


ときどき立ち止まり、
呼吸を整えたり、
草花に目を向けたり。

イスに腰掛けて、
水分を補給したり ——


まさに、
二人四脚のような登山でした。


自分の道を、自分の歩幅で。


一緒にいてくれる誰かと、
それぞれのペースで進めたら、
それだけで、十分幸せ
なんじゃないか。


そんなことも、思ったのです。

モヤがかった登山道

登山中、僕のスマホは電波が届かず、
ネットやナビを使えませんでした。

(ちなみにdocomoユーザーの母は繋がっていました。楽天ファイト!)


モヤで先が見えないし、
「山頂まで、あとどれくらい?」
が分からないまま、ただひたすら歩く。


普通だったら、
それは不安なことかもしれません。


でも、不思議とホッとしている
自分がいました。


見えないからこそ、
「いま、ここ」に集中できる。


目の前の景色と、
足元だけを見て歩くこと。


それが、僕にはとてもいい時間でした。


余計な通知が来ない。


時間の感覚も手放して、
自分の足で時を刻むように、

ただ一歩ずつ進む。


登山というより、
瞑想のような時間だったのかもしれません。


—— 先行き不透明の方が、いいこともある。


先が見えすぎると、
「これはしんどそうだな」と思って、
その時点で歩くことをやめてしまうこともある。


想像しちゃうんですよね。
「あーこれは進むとしんどいぞ」と。


たとえゴールが見えなくても、
「いつかはたどり着く」と信じていれば、
歩いていける。


白い景色の中を歩くことは、

自分の感覚を、
自分の足を、
自分の生き方を、

信じることでもあったのです。

伊吹山から琵琶湖


真っ白な霧に包まれた
伊吹山の登山道。


まるで、
人生の歩み方のようでした。


先が見えなくて不安な日もある。
足元が不安定で、
転びそうになる日もある。


そんな状況でも、
ちゃんと心に響いている“声”がある。


その声に耳を澄ましながら、
自分のペースで進んでいけばいい。


1人で難しいなら、
誰かと二人四脚で、
寄り添いながら歩いていけばいい。


たとえ今はゴールが見えなくても、
道は確かに続いている。


その道を信じて、
目の前に一歩を、それでいい。


今いる場所もまた、
大切な旅の一部。

旅の途中。


—— 霧がなかなか晴れないのなら、
ちょっと一休みして、待つのもいい。


待っているだけで、
風に霧が流され、
晴れ間が見えることもある。


心も同じ。


闇雲に進もうとせずに、
一休みして、


モヤモヤが晴れるのを待つことだって、
大切な歩みのひとつです。



伊吹山のソフトクリーム



さあ、そんなこんなで、
無事に頂上にたどり着きました。


そこで得られたのは、
ホッとした安心感と
やったという達成感。


山小屋でごほうびに食べたのは、
北海道バニラソフトクリーム。


真っ白なモヤモヤを晴らすように、
真っ白なバニラをペロリと。


最後は、甘く、冷たく、
そして、美味しくいただきました。


うん、これも幸せ🍦

・モヤモヤの中にいる自分に優しくなりたい方
・自分を責める歩き方を手放したい方
・見えない未来に不安を感じながらも進みたい方


どうぞ、お気軽にご相談下さい。


【あとがき】

今回は、いつもより長いブログになってしまいました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

「二人四脚」についてはこちらから
https://inaho16.com/kyoizon-relationship/


ちなみに…

登山中、白いモヤの中で聞こえていたあのカッコウの声。

車の中に戻っても、聞こえたんです。

「カッコウ」と。

「え?」

そして、気づいたんです。
それは、母のスマホの通知音でした。

そんなことある?
まさかの通知音。

docomoさん、基地局設置、
がんばり過ぎですって。

電波が繋がらないことの方が、
嬉しいこともあるんですね。

前言撤回します。

楽天さん、
あなたはちょうどいいがんばりでした。
これがあなたの個性、あなたらしさ。

先ほどは、余計なこと言いました。

このままのあなたでいてください。


山の中で、
何度も響いていた「カッコウ」の声。

—— あれは、本物か、通知音か。


答えは、霧の中。


きっと、答えを知らない方が、
幸せなことってありますよね。


……あの鳴き声は、
本物だと信じて、進みます😂🌾


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