共依存?「二人三脚」では苦しかったあなたへ──「二人四脚」というかたち


あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。


「大切な人と一緒にいるのに、どうしてこんなに苦しいんだろう…」
そんなふうに感じたことはありませんか?

パートナー、夫婦、家族、友人——
そばにいるはずの人と、心がすれ違ってしまうとき。
やさしさゆえに、気づけば自分を後回しにしてしまうこともあります。

もしかしたらそれは、「共依存」という関係かも…
そう感じたことがある方もいるかもしれません。

それ自体決して悪いことではなく、
“誰かを思うやさしさ”の中で生まれるもの。

今日は「二人三脚」と「二人四脚」というイメージを使いながら、
あなたと大切な人との関係について一緒に考えてみませんか。

二人三脚のかた結び

互いの足を紐で結び、ぴったりと歩調を合わせて進む二人三脚。

最初は支え合いのはずが、
次第に「合わせなきゃ」「遅れないようにしなきゃ」と、
どちらかが無理を重ねることで、心も身体も疲れてしまうことがあります。

相手のことを思う“やさしさ”が、
いつのまにか自分の気持ちを押し込める「共依存」という形に変わってしまうことも。

「支え合い」と「依存」は紙一重。

大切な人を思えばこそ、苦しくなってしまう——
それは、決して悪いことではありません。

僕自身も、過去に「相手のために」と頑張りすぎて、自分を見失いそうになった経験があります。

そのとき初めて、「自分を大切にすることが、本当のやさしさにつながる」と気づきました。

二人四脚のやさしい距離感

二人三脚より、もっとやさしい形——
それが「二人四脚」です。

二人四脚は、足を紐でしばりつけるのではなく、
見えない糸で、ふんわりと隣り合いながら歩くイメージ。

どちらかがよろけても、もう片方がそっと支え、
それぞれが自分の足で立っているからこそ、無理なく進むことができます。

しなやかさは、強さとやさしさの間に生まれます。
「離れても、また戻れる」
「そばにいるけど、縛られない」


そんな“ちょうどいい距離感”が、心の自由を育ててくれます。

カウンセリングルーム稲穂の部屋

僕のカウンセリングも、「二人四脚」のような関係を大切にしています。

クライアントさんは、自分自身の人生の主役。

僕は、そのすぐ隣で、ときに歩幅を合わせながら、ときに一緒に立ち止まりながら、
やさしく寄り添う伴走者でありたいと思っています。

一人で立つのがつらいとき、
そっと隣に寄り添うことで、また一歩踏み出す力が生まれる。

その積み重ねが、自分らしい歩みを育てていくのだと信じています。

人と人との関係は、音楽の和音のようなもの。

たとえば、隣り合う「ド」と「レ」を同時に鳴らすと、ときに不協和音になることがあります。

けれど、「ド」と「ミ」と「ソ」の場合は、
少し間をあけて響き合うことで、美しいハーモニーに──
協和音になります。

“大切に思う”ということは、
“いつもそばにいること”とは限りません。


近すぎて苦しいときは、ほんの少し離れてみてもいい。
お互いが心地よく響き合える、ちょうどいい距離が、きっとあるはずです。

一緒にいるのに苦しかったのは、
もしかすると、お互いを思う“やさしさ”が、
知らず知らず共依存という形に
なっていたのかもしれません。

「ちゃんと支えなきゃ」
「自分が頑張らなきゃ」
そんな想いが、二人三脚の紐をきつく締めていた
のかもしれません。

でも、そのやさしさがあったからこそ、
これからは、少しだけ自分の足で立ちながら、
お互いがちょうどよく寄り添い合える関係も、選んでいけるはず
です。

二人四脚で、心地よいハーモニーを響かせながら、
あなたの歩幅で、一歩ずつ歩んでいきましょう。

・自分らしさを大切にしながら、人とつながっていきたい方
・人間関係に息苦しさや違和感を感じている方
・共依存という言葉に不安や迷いを感じている方


どうぞ、お気軽にご相談下さい。


【あとがき】

改めて、人間関係と和音は似ているなと思いました。

近すぎればぶつかり合って「不協和音」が生まれても、
ちょっと距離をとることで「協和音」に変わることがある。

つまり、“離れることも愛”だと教えてくれている。

二人の間に、心地よいハーモニーが響き出したら「今日はON」♫
それは、自分のやさしさスイッチが入ったときの音。

稲穂は、そんな“今日はON”な日を、
一緒に見つけていく場所でありたいと思っています。

また、ふと音が聴こえたときは、稲穂に立ち寄ってください🌾


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