「ありのままの自分を愛する」とは?


あなただけの幸せを
一緒に探すカウンセラーのじろうです。

「ありのままの自分を愛することができたら…」
もっと楽に、もっと生きやすく、
もっと幸せに生きられるのに。


そんな風に思ったことありませんか?


僕はそう思って生きていました。


前回のブログでは、自分の誕生日から、
自分らしさに気付き、自分らしさ=自分を守るために必要なもの。


と意味付けできたことで、
感謝に変わったお話をしました。


今回は、
僕自身が体験した心理療法での気付きを通して、
「ありのままの自分を愛する」ことについて考えてみたいと思います。


そもそも「ありのままの自分とは何だろう?」と思う方も、
お読みいただけると幸いです。


以前、とある心理療法を実践した日のことです。


まず、左手に自分の短所をイメージして、
次に右手に自分の長所をイメージしました。


左手(短所)に浮かんできたイメージは、
暗闇に潜み、人目を避けてこそこそと移動する小さな泥棒。

いわゆる「こそ泥」でした。



右手(長所)に浮かんできたイメージは、
金色に輝き、手には乗り切らないほど大きな「仏像」様でした。



それから、左手(こそ泥)と右手(仏像)を
パチンと目の前で1つに合わせました。




そして、両手を開いて「こそ泥」「仏像」が、
合わさって出てきたイメージは…





「ねずみ男」でした。


ゲゲゲの鬼太郎に登場する、
欲望に忠実なズル賢いやつです。


「こそ泥」✕「仏像」=「ねずみ男」?


自分の短所と長所を混ぜ合わせて生まれた、
このイメージの意味を考えていきます。


ねずみ男は、
実は妖怪ではありません。


正確には、
人間とねずみの妖怪の間に生まれた
「半妖怪」です。


だから、人間でも妖怪でもない
「中途半端な存在」として、
どちらからも受け容れられずに嫌われていました。


一方、僕は自分のことを
「中途半端な人間だ」
常々ネガティブに捉えていました。


特別な才能はなく、
勉強も運動も全くできない訳ではないけど、
特別できる訳でもない。


周りと比べて、
これと言った取り柄がなく、
なんて中途半端なんだろうと思っていました。


でも、自分の短所と長所を合わせて出てきた「ねずみ男」と、
「自分」を重ね合わせてみた時に、「ああ、そうか。一緒だったんだ」と気付いたんです。


「ねずみ男」は中途半端な存在だからこそ、
ズル賢く立ち回り、人間と妖怪の間で上手く溶け込んでいく術を身に付けました。


一方「自分」は、
中途半端な人間だからこそ、


「迷惑掛けないように、できることは一生懸命やろう」
「たまたま上手くできただけだから、調子に乗らないように謙虚でいよう」と、


自分なりの形で、
周りと上手く溶け込んでいく術を身に付けていました。


どちらも、
自分の中途半端な面をカバーすべく、
自分ができる立ち回りをしていました。


そして、
どちらも中途半端さを抱えていたからこそ、
柔軟さや適応力が身に付いたと思えました。


自分の持つ「中途半端」な面に、
感謝ができた瞬間でした。


「ありのままの自分」とは、
短所と長所の両面を含んだ自分のこと。


「ありのままの自分を愛する」とは、
自分の短所と長所を全部ひっくるめて
「これが自分なんだ」と受け容れること。


つまり、
短所も長所も「自分らしさである」
と認めることができると、
「ありのままの自分を愛する」ことができます


今まで共に生きてきた、
短所と長所。


短所は、
人によっては受け入れ難く、
手離したいかもしれません。


でも、どうか、
嫌わないであげて下さい。


それは、あなたらしさであり、
あなたの大切な一部だからです。

もし、嫌ってしまっていた人は、
胸に手を当てて、


「嫌ってしまってごめんね。
それでも、一緒にいてくれてありがとう」
と伝えてみて下さい。


そして、
短所とも長所とも手を取り合って、
再び一緒に歩んでいきましょう。


これが「ありのままの自分を愛する」
と言うことだと思います。

・自分の短所と長所を知りたい方
・心理療法(イメージワーク)で自分の本質について探ってみたい方
・ありのままの自分を愛したい方

どうぞ、お気軽にご相談下さい。

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